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血管がパールのネックレス

今年4度目の猛暑が去って、やっと涼しい。 暑さは大の苦手である。 暑い国で活動していたこともあるけれど、どうやって過ごしていたのか、今となっては「 若かったんだろう 」としか言えない。 この温暖化現象が今後ますますひどくなるという話。 さっさと移植手術を終えて 森へ帰りたい 。 さて、その後 相変わらず何の連絡もない 移植手術の件。 ドナーになれないかもしれない、と放射線技師に言われた件も、まだよくわからない。 血管撮影検査で見つかった、私の腎動脈異形成。 何? 私の腎臓に問題があるの????  とまた必死で調べまくって落ち込んだ。 その名のとおり、血管が一部変な形になっているのだ。 異形成の中では最も頻度が高いという、ビーズのネックレスような、狭窄と拡張が交互にある現象。 英語では string and beads  紐とビーズ 仏語だと collier de perles  パールのネックレス 実際に検査結果の写真を見ると、まさにパールのネックレスという表現が近い。 とはいえ、パールは2個か3個ぐらいの短い範囲である。 どうやら、この現象自体は特に珍しいものではないようで、無症状のケースが多いとのこと。関連疾患の検査で偶然見つかるケースが多いとも。 私の再検査では、この異形成による腎臓や周辺臓器へ何等かの影響がないかを診てもらったのだけど、担当した先生には、 「全然問題ない。移植担当の Dr O にすぐに結果送っておくねー」 と軽く言われて ちょっと拍子抜け した。 ただ、動脈が狭窄している部分があるということは、いずれ栓塞の可能性や高血圧症に発展するリスクがあるので、定期的なモニタリングが必要ということらしい。 ということで、私自身の検査としては、今のところ「何の異常もなし」という嬉しい結果なのだけど、ドナーになれるかどうかについては、まだ未知。 なぜかというと、腎臓移植に係る最も多い副作用が「移植腎の動脈狭窄」らしい。 移植後の副作用も何も、私の腎臓は動脈狭窄がもれなく付いてくる、ということ。 まだ症状は伴っていないけれど。 実際、関連情報を検索すると、腎動脈異形成が見つかった場合は、腎移植のドナーとして排除されていた様子。ちなみに、ドナー候補のうち、私のように検査で腎動脈異形成が見つかる割合は1~2%らしい。 ただ、最近では、ドナー不足の問題を少しでも解消
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術後のコロナ感染 肉で回復

40度を超える猛暑がやっと少し落ち着いて、比較的過ごしやすい気温になりました😂 でも、日本の猛暑と比べると湿度が低いため、日陰にいる分にはわりと平気。 さてその後、夫が退院して1週間後ぐらいに私が コロナ感染 してしまいました😣 当然すぐに夫にも感染。私は高熱が4日ほど続いたあとはすぐに回復したけれど、彼は術後の体力が回復していない状態での感染だったので、熱が下がっても疲労感が2週間ほど継続。少し動いただけで疲れ果て、ベットに横になってしまうのでだいぶ心配したけれど、幸い後遺症もなく無事元気になりました。ホッ。 彼の入院中、私も毎日病院へ通ったけれど、その後も私自身の検査続きでバスで通院していたので、どこかでウィルスをもらってしまうのは当然といえば当然・・・。マスク着用義務が解除されたら、ホントに皆マスクを外したからね。私自身も、暑いとマスクは辛くて着けたり外したり・・・。でも、感染のタイミングが悪かった。 以前のような元気を取り戻したのはこの1週間ほど。 その理由は、最近肉を食べるようになったから。 手術前は病気の腎臓を護るために、動物性たんぱく質はほぼ摂取していなかったし、透析治療を開始する際も、蛋白質摂取していいけれど動物性は控えめにとの指示があったのです。しかし、 術後5キロ減(内、2キロは病気で肥大化した腎臓の分!) した体重がなかなか元に戻らないのと、透析治療開始後の定期的な血液検査の結果から、病院の栄養士さんから、もっと肉を食べるようにとの指示が。 え?肉もっと食べていいの??? と、その日はここぞとばかりにステーキ屋さんを予約😅 これまでは、肉なしでも全然平気になったー、なんて言ってたけれど、やはり 「食べていいよー♪」 と言われると、すごく食べたくなったみたい。 もちろん、体力が完全に戻らないことにも疲れていたから、元気になりたかったのもある。 そしてやはり肉ってすごいね。というか、動物性蛋白質かな。 毎日食べているわけじゃないけれど、けっこうみるみる元気💪になって、長時間の外出も大丈夫になりました。 正直、夫がまたお肉を食べられるようになって嬉しいのは私😁 美味しそうなベジタリアンがあるお店だけを探す必要がなく、外食する際の選択肢がグンと広がる。 実は、こうして肉を食べて、万が一蛋白質摂取しすぎですーとなっても、なんと透析治療ってすごく

本日退院、なんだけど・・・

すっかりご無沙汰してしまい、気にかけて下さっている方々には申し訳ありません。 実はその後、相変わらずすったもんだがあり、なぜか私が Dr.O から怒りの電話を受けたりしながら(詳細は気力があったら後日)、でもその怒りのお陰で急に前進し、前記事に書いた Dr.オードリーちゃん による腎摘出手術が6月8日に行われました。お蔭様で術後経過良好です。 病気で肥大した腎臓を取り出したので、切開手術で傷口がなんと20センチほど。今時はホチキスの針で傷口をふさぐんですね。写真をアップしたいところですが、一応やめておきます。 術後は3日で退院できますよー♪ と言われたものの、透析開始があるので、手術した泌尿器科病棟から、腎臓内科病棟へ移動して、 結局入院期間は10日間 でした。 今日は3回目の透析をしてから、夕方に無事退院。とはいえ、まだ衰えた体力は完全に回復しておらず、私の手を握ってゆっくり歩くおじいちゃんになった👴👴 これまでは肉ゼロ生活だったけれど、透析治療を開始したら逆に蛋白質を毎日摂取してください、とのことなので、これで少し体力回復できるかな。 手術日が決定してから約1か月間、急遽彼の家族に会いにオランダへ行ったり、私も日本へ帰国したり、パリでの長期生活のための引っ越し作業などなど、手術はいつでもこい、と心の準備はできていたつもりだったけれど、はやりかなりバタバタしました。 入院生活を通じてフランスの病院について驚きがたくさんでしたが、盛沢山すぎて何からどう記事にしたらよいか整理できずにいます。 私も毎日病院に通いつつ、同時にドナー検査も開始し、今週はほぼ毎日何かの検査。相変わらず問題なし、 超余裕の健康体だわー😍 なんて思っていたら・・・ 一難去ってまた一難。 今日、もしかしてドナーになれない可能性が浮上。 なんかショック。 ようやくここまでたどり着いたのに、この期に及んで私の方に欠陥が見つかるとは。 今日は退院日なのに、久しぶりに心がぐんと重くなった日でした。 あーあ。 退院祝いに、今夜は彼の大好きな自家製スパイスのチキンカレーを作ろうと思っていたけれど、なんだかそんな気も失せてしまった。パスタで勘弁して。 再検査があるので、また報告します。 病院の中庭。術後4日目ぐらいから毎日ここを少し歩いて木陰のベンチで過ごしていました。庭の手入れが素晴らしく行き届いていて

たらい回し ああ腹立つ

メールを送った。 夫が Dr.O の秘書さん宛てに、そして Dr.O にコピーで。 宛先を秘書さんにすることで、Dr.に確認して欲しいという内容全体が、怒りを消した様子。 午後5時にメール受信確認メールが届き、その1時間後に ついにDr.Oから返信が来た! しかし、その内容に愕然😨・・・ 腎臓摘出手術を担当する外科医 Dr.B と、すでにあなたの件について話し合いました。 実は彼女は4月1日から6か月間休職するので、あなたを担当する他の外科医を探しています。 心配しないで下さい。担当外科医が決まり次第すぐに連絡をします。 ・・・・とこのと。 外科医 Dr.B と話したというのはいつのことなのか。 4月1日から休職って、おそらく出産か何かでずっと以前から予定されていたことじゃないのだろうか?なぜ今になってそんなことになっているのか。 実はその数日前から、もう他の病院に変えた方がいいんじゃないかと、ネットで腎臓移植で人気の病院を検索して、ある程度目星をつけていたところだった。 今の病院に通っているのは、単に彼の疾患である複合性嚢胞腎という病気を研究するフランスで一番の権威の先生 Dr.R がおり、その先生にずっと診てもらっていたから。 Dr.R は移植手術はしない。しかも、数年前に定年退職してしまった。仕事が大好きで、定年後もしばらく出勤していたようだが、院内の政治関係で、追い出されたらしい。 Dr.F が以前悔しそうに話していた。 Dr.R は私たちの中では非常に常識的な良い先生だった。でもよく病院内の様々なオーガニゼーションがめちゃくちゃで、秘書は無能だし、ここで働くのはけっこう大変なんだ、とよく愚痴っていた。 おそらく今回 Dr.O が今になって手術担当医が4月1日から休職すると連絡してきたのは、手術担当 Dr.B に夫のケースを丸投げして、そのまま放置していたせいと思われる。そして、当の Dr.B はどうせ4月から休職だし、担当するのは私じゃないわ、と放置していたのじゃないだろうか。誰もフォローしない状況。 まさか、医者までタコツボ業務とは思わなかった。 いつも思うけれど、この国の人は 自分の担当業務しかしない 。その他のことは絶対にしない。スーパーのレジ打ちのお姉さんたちも、あくまでレジ打ちしかしない。 客がどんなに老人で商品をバックに入れるのに5分も要して

病院の救急センターはもう行きたくない【その2】

救急センターに到着したのは夜9時ちょっと前。 前回は、お願いだから車の中では死なないで!と祈りながら100キロ以上で運転したけれど、今回はすでに暗い夜道だったので、くねくね山道ではよく動物も出るし、 「焦らない、焦らない」 と自分に言い聞かせながらいつも通りの運転。 ふと、鹿が現れて、珍しく車に動じず道脇でじっとしているので、 すれ違いざまに目が合ってしまった 。逃げない鹿を見たのは初めて。鹿の落ち着いた顔つきから、 「早く行けよ」 と言われた気もするし、 「大丈夫だ、焦るな」 と言われた気もするし、なんだか良い暗示と良くない暗示で頭がいっぱいになる。ふと助手席を見れば、彼は目を閉じてぐったりしているけれど、時々急に話し出すので、 たぶん大丈夫 。 さて、到着した救急センター。コロナ禍で付添人は中に入れず待合室で待機するののみなので、これ以降は私はもう 「待つ」 しかない。重病人で今夜は入院させるのでご家族は帰っていいですよ、という場合以外は、待合室にいる家族は何も知らされない。 当然、あとどれぐらいかかるんだ?! とイライラを募らせる人はドアベルを リンリン 鳴らして、受付人に当たる。その日は、なんと朝10時半から中にいるという奥様を待つご主人が、妻が一体どういう状況で何をしているのか、全く知らされない、と待合室にいる全員に愚痴っている。最後はそのおじさんと私二人きりになって会話を交わしたが、怒りながらも病院の人に感謝をして、なんだかすごくいい人だ。夜中すぎにようやく、奥様は今夜は預かりますので、帰っていいですよと言われ、最後は笑顔で私にも挨拶をして帰っていった。 そして待合室には私一人 。 色々準備してきたつもりだったけれど、なんだか疲れてしまって読書もとぎれとぎれだし、携帯画面を見るのも疲れる。音楽かラジオを聴くのもなんだか耳障りに感じてしまい、結局目を閉じて半分寝る時間が長かった。 時々夫から携帯メッセージが届いて、今血液採取をしたとか、やっとエコーが終わった、とかの知らせが来る。 たまたま待合室に顔を出した看護師さんに、血液検査の結果はどれぐらいかかるのか訊いたら、最低2時間だと。ああ、今から2時間以上か・・・その時点で11時半。 なぜ到着してすぐに採血してくれないんだろう・・・。 しばくらくして、また一人待合室に男性が現れ、少し携帯とにらめっこしていたが

病院の救急センターはもう行きたくない【その1】

その後、案の定 Dr.O からの連絡がない。 しびれを切らした夫がまた Dr.O 当てに催促のメールを書いたけれど、怒りがこもっているかもしれないので内容確認して欲しい、というので、そのメールを読んでみた。 。。。たしかに、怒っている💢  どんどん体調が悪化していく中で、手術の連絡が全くないし、今の状態では今後の仕事の計画も立てられず本当に困っているんだ!という内容が怒りに満ちている 💣💣💣 それもそのはず、その前夜は Dr.O に対する怒りでなかなか寝付けなかったらしい。 気持ちはわかるけど、このメールだと Dr.O を悪い方向に刺激するだけだから、もっと柔らかい表現にしようよ、と言ったのち、私は他のことで忙しかったのでとりあえずメールは保留。 これが午前中の話。 そしてその日の夕方6時頃、少し庭に出て家に戻ると、さっきまでパソコンに向かっていたはずの彼がソファーでうずくまっている。 「どうしたの?疲れたの?」 と声を掛けたら 「痛い、左側の腰が痛い・・・動けない・・・・」 と唸るではないか。 2年ほど前に、腎臓の嚢胞が感染して救急センターへ行って一命をとりとめたことがあった。(4日間ほど高熱が続くので、血液検査の結果を見た Dr.F が、秘書さんづてに 「今すぐ救急へ行って!今すぐよ!1時間後には命が危ないかもしれないの!」 と電話で言われ、文字通り二人で真っ青😨になって100キロのスピードを出して車を走らせた。) その時のことを思い出し、すぐに救急へ行こうと言ったけれど、本当に痛すぎて動けないという。熱があるか確認したけれど、平熱だった。 救急車も考えたけれど、救急車が来るまでの間に少し落ち着くかもしれないので、とりあえず少し待つことに。痛いところを温めたいというので、 湯たんぽ をつくり、さらに年末から試している コンニャク湿布 で手当してみた(興味のある方は検索してみてください。解毒の自然療法です。) 私はいつでも出かけられるように、ソファーでうずくまる彼をよそに、台所で一人でパクパク夕食を済ませ、救急センターへ行くための、水、クッキーひと箱、小説2冊、ヘッドフォンを詰めたバックを準備。 なぜなら、前回初めて何も知らずに到着した救急センターは、何もなくて周囲にお店もないし、同伴者の待合室は寒くて椅子もお尻がいたくなる鉄製だし、唯一ある自動販売機は

もう春なんだけど

あっという間に3月も後半。春ですね。 皆さん如何お過ごしでしょうか。 その後、なかなか進展がなかったこともあり、久々のブログ更新となってしまいました。 年末に 来春には手術かも との記事を書きましたが、もう春なんですが相変わらず連絡待ち状態が続いています。 その後、先生から何の連絡もなく、メールで問い合わせても返事なしの状態が続いており、緊急を要する患者じゃないから後回しなのかもねーなんて話していましたが、実はようやく先週、年末に電話診察をした Dr.F と直接会ってきました。 相変わらず物腰やわらかい優しい先生だけど、診察室に入った際の第一声が、 「腎臓機能はどのレベルですか~?♪」 と、なんだか初めて会う患者のような対応。。。。    どうやら、私たちのことを覚えていない  😱 たくさんの患者さんを抱えているので、いちいち全ての患者のことを覚えていないのは当然かもしれない。でも、これってちょっぴりショック。 とはいえ、カルテを見て、そして話しながら、すぐに私たちのことを思い出してくれて  ホッ 💦 年末の電話診察の時は、春にまずは腎臓摘出手術ができるように Dr.O とも話し合っておきます、と言っていた先生だけど、案の定 Dr.O とは話していなかった・・・。すぐに私たちの目の前で Dr.O に電話してみよう、と言い受話器をとるも、当然誰も出ない。 Dr.O だって日中は診察や手術で忙しいだろう。  と思ったら、すぐに折り返し電話がかかってきた! 私たちの手術計画を立てたいと先生が伝えると、今他の患者の腎臓移植計画を立てているところだから、 あとでね! とのこと。 でも、「あとで」っていつかなー 😶。 1週間以内に連絡が来ればいい方かも。 とはいえ、今回ちょっと具体的になったのは、腎臓摘出をしたあとの透析治療。 以前は腎臓一つ摘出しても透析なしで数か月生きられるよ、と楽観的だった Dr.F だけど、今回の血液検査の結果を見て、 術後はすぐに透析治療開始しないといけない という意見に変わってしまった。腎臓機能の数値がまた低下していたのである。 長期の透析であれば、以前から自宅透析を薦められていたけれど、腎臓摘出から移植手術をするまでの2~3か月間のみなので、週3回(1回4時間)通院による透析治療。 私がドナーとして認定されるタイミングは腎臓摘出直後が望ましい